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麻酔なし!!!



佐倉散歩その2

武家屋敷跡から、お殿様が明治になって東京から引っ越しをしてきて建てた大邸宅を見学(それは次回に)

したあと、私にとってはこの日一番いってみたかった所 「佐倉順天堂記念館」へ向かいました。

ここにも地図をいれておきます。


老中になった 佐倉藩主堀田正睦は「西洋堀田」とあだ名されるほど 蘭学などの先進の学問等を奨励していまして、その招きにより、佐倉藩に佐藤泰然が江戸の医院と塾を塾頭に譲って引っ越してきたことが、この佐倉の地で蘭学と西洋医学の順天堂が始まりました。


それが天保14年(1843年)ですので、松本良順先生は佐倉の生まれではなく、江戸麻布の生まれのようです(そうちゃんと一緒!)

佐倉順天堂その1

記念館の正面。昔の建物のごく一部しか現存していませんが、これがこうして保存公開されています。



前の道は昔の「成田街道」です。現在成田街道と呼ばれる 国道296号線からは少し外れていますので、それがまた、昔の面影を残してくれているのだと思います。

kannbann

説明書き・・・(笑)


gennkann

武家屋敷をみてきた後だったので、その造りの違いがよくわかります。

武家だとこれだと、客が敵でしたら・・・・すぐやられてしまいますよね・・!!

塾でもあり、医院でもあったので、開放的です。


zyunntenndou

順天堂の扁額。
いろいろなところに順天堂病院がありまして、それぞれの正面玄関に飾られているものの 原本です。

カメラを向けるひなちなが映りこんでいます・・・(汗)すみません・・・


matumoto

これが 松本先生の筆になるもの

堂々としていて躍動的な印象です。 従四位 松本順とありますから、明治になってからのものです。

高幡不動とか板橋とかの新撰組顕彰にお力を添えてくださった頃なのでしょうか??


snnsartu

これは明治初年の改築・・
ちょっとこわーーい感じがしますが、これこそ「医院の原点」みたいな造りですね。

monnzinn

慶応元年ごろに門人だった人が当時ともに在籍していた人たちを記録してあったもの。下段に 「津和野 森・・」の名前が見えます。森鴎外の父上です。津和野藩の藩医の家ですので、ここで西洋医学を学んで、津和野に帰ったのでしょう。

総数は数千名に及び、北は松前から南は宮崎まで、藩からの留学などの形でこの佐倉に集ったのだそうです。

こういうものをなぜ写真に撮るのか?

同道した連れ合いに不思議がられました。

その理由。 中段真ん中あたりに・・・「江州 膳所藩・・・・・・・」を見つけたからです・・・

なぜかって・・・くわしくはこちらのサイトの中にでてくる 青年医師に縁があるからなのです。
大の愛読者であるひなちなですが、まさに、只今連載のあたりと関係しているからなのです。うふふ

順天堂は「外科」が得意で、当時乳がんや帝王切開なども行われていたようです。

しかし・・・・麻酔なし・・・・ですって!!!

さきほどの診察室の廊下とうが、なんとなく怖いのも・・昔の痛さの絶叫がこもっているからなのかしら・・・



gaku


これも 松本先生の額 署名が「蘭疇」になってますね。
何度みてもほれぼれしました。
これを見ただけでも おおきなおおきなお人柄がわかります。







3
2
1  これは記念館のおとなりにある現在の佐倉順天堂医院の風景。
東京お茶の水にある順天堂病院は高層のビルの大病院ですし、他にもたくさんの病院を設置していますが、どこも大病院です。発祥の地のここが こうして地域にぴったりといまでもあるのが、なんだかとてもうれしく思いました。今でも院長先生は佐藤さんです。







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