夏は終わってしまうのでしょうか???
人間は勝手なもので、夏は暑いものだというのに、やれ暑
すぎるとかいっていたのに、ここ数日東京では、とても涼しいと・・・
とてもあの暑さが懐かしくなって、涼しさに寂しさを思ってしまいました。
ということで、表紙に「きまぐれ工房様」の「月見の兎」を飾らせていただきました。
- 2008/08/25(月) 21:44:30|
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北京オリンピックも今日閉幕しました。
もう何年も前からなにかと話題になっていたのですけど、いざ始まってしまうと、オリンピックって開催期間が短いですね。ワールドカップなど1ヶ月以上ぐらいやっていた印象がありますけど・・・
といってもまだパラリンピックが控えていますからね。まだまだ、北京は熱いです。
いろいろな競技に熱狂しましたが、すごい気になる場面がありました。
男子体操のスペインだかの選手の耳に大きピアスが見えました。
その男の人のピアスって、そういう方面の人だというし(おしゃれだけの人もいるでしょうけど・・・)
見た瞬間 多分そっち方面なんだろう!と想像できる選手がいました。
思うことはみんな同じで(笑)翌日、会社のランチでその話題が出て(この会社のメンバーはそういうことの興味深いのが多くてうれしい(!?)
その、男女ともそういう傾向があることを認めた人が結構いる とのアンケート結果が発表されていたとのこと。テレビのニュースなどではなく、ネットのニュースでしょうね??
それでその体操選手は??というと、彼はその中には入っていないとのことでした。
ということは・・・実際はその手の傾向の方はもっともっと多いということだね!ということに話しが進んでいきました。
こういうことが話題にでること自体、自由になったのかそれとも、自由を装って返って、不自由になったのかわからないですけどね。
- 2008/08/24(日) 22:06:12|
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先週の「武」の神様廻り 第2弾
鹿島神宮にいってきました!!
東関東自動車道(通称、東関道・・トウカンドウ)は成田空港へ直接入る空港道と分かれる成田インターを過ぎると 片道2車線に減ってしまいます。
香取を過ぎて、利根川、常磐利根川 と渡り、「潮来」で終点です。
そこから、水郷地帯を国道51号線でいきまして、霞ヶ浦よりかは小さいけど「北浦」を渡ります。
この北浦を渡る「神宮橋」は「海」を渡るような雰囲気があります。
これが全部「真水」であることを思うと、日本の水資源の豊かさを実感します。
橋をわたれば 鹿島 です。
そして鹿島神宮に到着!

緑の中に見える 楼門 です。
水戸徳川家初代 頼房の寄贈。

今までの経験だと、門をまっすぐいった正面に 拝殿本殿があると思っていたのですが、ここでは意表をつかれました(笑)
楼門をくぐって、右手にいきなり小さな鳥居があり(楼門の前にもっと大きな鳥居はありました)
そこに本殿がありました。
そして、その「地味」さにまずは驚きました。
この拝殿本殿は 徳川二代将軍秀忠の寄贈です。

香取神宮と違って黒塗りと丹塗りが混在しています。
丹塗りがあることで、どっしりとしているにもかかわらず、柔らかい印象も持ちました。

拝殿前から奥宮、御手洗池とうに向かう参道です。
道は石畳でも、玉砂利を敷いているわけでもありませんが、千年踏み固まられたのでしょう、舗装されたような堅い道でした。まわりの「森」も千古の自然林です。
お茶県生まれの私は「森」といえば「山」と思っていたのですが、このあたりは平地の「森」です。
せいぜい、台地ぐらいの高低差です・
関東平野は広いなああ!!

小ぶりな「奥宮」です。
こちらは徳川家康の寄贈とのこと。
幕府を成立させた、徳川家康と二人の息子たちでの、熱心な鹿島への信仰が伺われます。

鹿がいます。
鹿島アントラーズのアントラー君です!
なぜ 鹿がいるかと言うと、

ということだそうです。
鹿は奈良にも宮島にも「神」の使いとして保護されていますよね。
さて「鹿島立ち」という言葉があります。
[名](スル)《鹿島・香取(かとり)の二神が国土を平定した故事からとも、また、防人(さきもり)・武士が旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮に祈願したところからともいう》旅行に出発すること。旅立ち。門出。(大辞林)
ということで、現代でもよく使われています。
鹿島神宮の門前に掲げられていた 常陸風土記からの短歌を記しましょう。

これはこの地から「防人」として遠く九州の地に赴いた人の歌とのこと。
「霰ふり(る)」は鹿島の枕詞です。
「武」の神様 を廻った感想は
野趣に富み、質実剛健であるということでした。
新撰組の芹沢鴨の出身は水戸藩ですが、生家は鹿島にほど近い 行方です。
今回は時間もなく計画もしていなかったので、足を伸ばすことができなかったのですが、武芸の神様のお膝元で生まれたのですね。
そして剣豪の塚原卜伝もこの鹿島の出身でした。
江戸の道場には この「香取」「鹿島」の神が床の間に掲げられていますが、これは西国でも同様なのでしょうか????
興味があるところですね。
- 2008/08/23(土) 22:40:14|
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デジカメを買うと、カメラに記憶媒体を入れたままパソコンに接続できる「ケーブル」が付属品としてついていますが、今回、一番最近にかったカメラのそれを失くしてしまったようです。
あれって、カメラごとに微妙にちがいませんか?
私はN社製、C社製、S社製・・・と買い替えて今でも全部使えますが、同じN社製でも使用できません。年代が違うとか 一眼かコンパクトで違うというのなら、判るのですが、半年しかモデルが違うだけでダメですね。
古いものは残っているようなので、多分・・・間違えて処分してしまったようすです。オヨヨヨ!
それでもって、近くの量販店にいって購入しようと思ったら、カメラ専用のそれはメーカー取り寄せになるので・・・ということで、SDカードからコンパクトフラッシュとうどういう媒体でも大丈夫な機器を勧められて購入してきました。なるほどね・・・・
さて、この週末にいった武の神様詣で!
今日は香取神宮を紹介します。
延喜式で神宮といえば「伊勢」「香取」「鹿島」の三つだけです。
伊勢は大和に近いから、朝廷が重要視したのはよく理解できますが、香取鹿島という地は当時、大和からみれば「辺境」の地。
そこから考えでば当然「武」の神様であらせられるわけですね。
でもどうして、この利根川河口のこの地なのでしょうかね?
調べてみたいなああ と思っております。

まずは「鳥居」です。何番目の鳥居なのかまだ調べていません。がここから「神の森」がはじまります。

鳥居から総門へ到る玉砂利の道はせみしぐれの道でした。
一気に開けてこの総門があります。

お手水舎もなかなか風情があったのですが、写真を撮り忘れていました。
写真が楼門です。
非常に上下のバランスが取れた門ですね、これは元禄13年の造営とのこと、ちょうど灯がはいったところでした。
お手水舎あたりからあちことにある「摂社」は萱葺きとうの素朴なものが多くなりました。

楼門をくぐると、拝殿が現れました。
黒漆塗り、桧皮葺ですが、もとは柿葺とのこと。
お宮さんというのは 白木造りか朱塗りのものである という固定観念が打ち砕かれました。
神社というと「清らかさ」とか「柔らかさ」という印象ですが、ここは「鎮」と「剛」の空気が迫ってきます。
拝殿から廻って本殿です。

取り囲む塀の網代も黒塗りです。渋い〜〜〜〜〜〜〜〜
後ろに見える「杉」は「源頼義の伝説がある三本杉」です。

黒塗りに「金」の縁取り。細かい模様の意匠。武骨だけではない ということがよくわかります。
「雅」とか「華麗」という言葉は遠いですが、力強さを思うお社でした。
次回は「鹿島神宮」を!!!!
- 2008/08/20(水) 22:20:46|
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先回の日記から2週間もたっていました。
皆様、ご無沙汰しておりました。
今日はとっても東京は涼しい夜でありまして、これからはボチボチPC隠れ部屋に出没できそうです。
メールやあらららrrrr・・・バトンやら、溜まっておりますね・あわわわわ・・ごめんなさい、すみませんです。
さてさて。今年は職場の都合で8月に休暇をとれませんでした。
なにか、物足りないような夏でしたが、今夜の涼しさを思うと寂しくなってしまいますね。
と、思っていたのですが、昨日の土曜日、表(笑)短歌会から帰ってきたら、いきなり家人が「今から千葉へいこうぜ!」という。
なにか、こちらも夏休みが物足りなかったらしいとのこと。
今から〜〜〜〜と思ったのですが、「・・・行きたかったんだろう?香取神宮?」と言う・
そうなのです。
剣道の道場などでは大概「香取大明神」と「鹿島大明神」の軸が対になって掲げられています。
香取、鹿島、両神とも「武」の神様であることも、東京からさほど離れていないところに、本宮があることも知ってはいたのですが、なかなか訪れることができなかったのです。
思いがけない提案に即刻OK!したのでした。
出発したのがもう午後の3時!
東京は台風の影響で時折、バケツをひっくり返したような雨がふったり、またそれがうそのように晴れたり・・・という不安定の空模様の中を、首都高、京葉道路、東関道といきます。
成田空港をすぎたあたりから、下総の広大な青田の中を快調にいきます・
目的地 「香取神宮」についたのはもう5時を廻っていましたが、参拝客が途絶えつつある境内は蜩の声に占領されていました。
国営放送の「組!」はアテネオリンピックの年でしたからもう4年も前になるのですね。
シエイカンの場面で道場に「香取大明神」の軸が掛かっているのは、主役のシンゴ君の苗字がそうだからでしょうか????という とんでもない質問もあった・・という話を思い出しながら、蜩と千古のまま手付かず、保存されている神域の深い深い森のなかを本殿めざして歩きました。
ここで写真を!と思ったのですが、デジカメとパソコンをつなぐケーブルがどうしても見つからないのです。多分どこかにはしまってあるはずなので、探してまた掲載しますね・・・
武勇の神、香取神宮の本殿は・・萱葺きの黒漆塗りの、質実剛健そのものの渋いお宮様でありました。本殿は元禄年間の建造でした。
伊勢神宮とも出雲大社とも厳島神社とも故郷お茶県の秋葉本宮とも、また武門の神、八幡神社ともまったく違う、その佇まいに「東国」の色を思いました。
香取神宮から佐原の町にでて、そのまま東京に帰る予定でしたが、思い切って再び東関道にのって、利根川を渡って常磐の国へいって一気に鹿島神宮まで車を走らせてしまいました。
もう、駐車場の番人の方も帰ってしまって、無料となった駐車場に車を停めて、さて・・・と思ったら、とんでもない雨と雷が襲ってきます。
それでも、鳥居をくぐろうとしてると、警備員が「今日はこれ以上はキケンですので・・」とのことで、参拝を断念せざるをえませんでした。
今日は仕方がないので東京へ帰ろう!と思っていたら、いきなり「今日は鹿島に泊まっていかないか!」とまたまた突然の提案をする。
明日は「幕末純情伝」の舞台を観劇の予定であることをいうと・・「香取、鹿島両方とも行きたい、行きたい!っていっていたのはテメエだ!」といきなり子供みたいなことを言い出して、カチンときて喧嘩になる・・
まあ・・いろいろと(笑)ありましたけど、結局、「鹿島立ち」ならぬ「鹿島泊まり」に決定!
水郷地帯で広大な平野。湿気も多いので常々雷の発生は多いというこの地域。
それに台風も重なって、すさまじい雷雨の中を「車中泊まり」となりました・
門前の旅館も繁華街のビジネスホテルもシティホテル(らしきもの)も盆休みの土曜日ですもの、全部満室・・ということでしたので・・もう笑うしかないです。あははは
地震雷火事親父 といいますが。
雷ってほんとうに怖いものでした。
あしたに続きます・
デジカメのケーブルを今から探します。
- 2008/08/17(日) 21:35:54|
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お久しぶりであります。
暫く、パソを開けていなかったひなちなであります。
かといって、乙女話しを断っていたわけではもちろんなく、ただ単に「私の妄想部屋」が蒸し風呂状態だからです。
しかし、このところ 東京は夕方からは涼しい風が吹いてて、去年の どうしようもない酷暑の夜は免れているような気がします。
この部屋には北に窓があり、南側の廊下側のドアを開けてさえあれば、風が通ります。
それでも、この部屋に夜、出没できなかった理由は・・・・・
年寄りになって(笑)夜はぐうぐううと寝てしまっていたからでした!!
しかあああああし、いっさいいっさい、夏痩せなんてしてませえええんn!拍手御礼>
蒼依さま・・・・わーーーああん! かんなな話に反応ありがとうございます。すっかり遅くなってしまいました(スマンです)今度例の 茶房で あんみつのみつを追加ごちそういたすよ。
トヨタマ陸橋は、ラジオの渋滞情報でよく出てきますでしょ!初めはきにならなかったのですが、ある日環七を走っているときに、遭遇しその「漢字」を見たときは「わあーーお」と感嘆したものです。
- 2008/08/03(日) 07:18:23|
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